呉市立美術館
【呉の美術】令和2年度呉市立美術館コレクション展 「呉の美術:没後40年 水船六洲展 - 木彫と木版 木に刻む詩 -」令和2年度12月12日(土)〜2月28日(日) | 近現代の美術作品を所蔵し特別展も開催|呉市立美術館

開館時間

●10時〜17時
(入館は16時30分まで)

休館日

●毎週火曜日
(火曜が祝日・振替休日の場合は、その翌日)
●年末・年始(12月29日〜1月3日)
※展示替え等で臨時に休館する場合があります
 
は休館日
 
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没後40年 水船六洲 - 木彫と木版 木に刻む詩 -

2020年12月12日(土)〜2021年2月28日(日)

  呉市出身の水船六洲(1912年-1980年)は彫刻家と版画家、二つの顔を持つ芸術家です。彫刻家としてはアカデミズムの正道とされる戦前の官展・戦後の日展の主要作家でありながら、異端と評されるほどの前衛的探求を推し進め、その末に到達した孤高の彩色木彫で注目を集めました。版画家としては近代版画に革新をもたらした創作版画の流れをくみ、半抽象の画面構成の中に日本的情趣「ものの哀れ」を感じさせる木版画により国際的に高く評価されました。没後40年に当たり、本展では、水船六洲の初期から晩年に至る木版画28点、銅版画8点、及び木彫作品4点を一堂に展示することにより、その創作の軌跡をたどります。
  あわせて、水船と同時代を生きた、平櫛田中、圓鍔勝三、最上壽之による木彫作品4点、及び永瀬義郎、平川清蔵、朝井清、棟方志功、芹沢げ陝∈愼清、森田曠平、馬渕聖による、木版を中心とする版画作品25点を展示することにより、近現代の木彫・木版画の多彩な表現を紹介します。

会期2020年12月12日(土)〜2021年2月28日(日)
開館時間10時〜17時(最終入館は16時30分まで)
入館料一般300(240)円
高大生180(140)円
小中生120(90)円
※( )内は20名以上の団体料金、広島中央地域連携中枢都市圏(呉市、竹原市、東広島市、江田島市、海田町、熊野町、坂町、大崎上島町)在住または通学の高校生以下、呉市在住の70歳以上、はたちのパスポート及び障害者手帳等をお持ちの方は無料(要証明書)。くれフレンドリー(友の会)会員証をお持ちの方は団体料金。
休館日火曜日(ただし、2月23日(火・祝)は開館し2月24日(水)は休館)
年末年始(12/29〜1/3)
主催呉市立美術館、呉市、呉市文化振興財団
協力比治山大学

関連イベント

ワークショップ「スタンプでオリジナルトートバッグを作ろう」
(比治山大学連携事業))※終了しました。

比治山大学 斉藤克幸 教授
スタンプで文様を転写して自分だけのオリジナルトートバックを作ります。

講師の斉藤先生からのメッセージ
「本来なら画材ではないもの=野菜(カボチャ・さつまいも・にんじん)やゴム版を切ったり彫ったりしたものを使って、判子みたいにポンポン押すスタンプ技法で楽しいデザインを作り、自分だけのトートバッグを作ってみましょう。美術に正解はありません。自由に楽しく、水船六洲さんにならって失敗を恐れず、上手く描こうと思わないでいきましょう。」

対象: どなたでも(小学生以下のお子様は保護者同伴)
定員: 20名  ※要事前申込  
会場: 別館展示ギャラリー
日時: 12月20日(日) 13:30〜15:30
講師: 比治山大学短期大学部 教授 斉藤克幸
申込: 12月6日(日)申込を締め切りました。
参加料 1000円(入館券を含む。)

講演会「日本木彫の魅力」 (比治山大学連携事業)

比治山大学 睫斂佚弌ゞ擬
講師: 比治山大学短期大学部 教授 睫斂佚
日時: 1月9日(土) 13:30〜15:00
定員: 30名(当日先着順)  
会場: 地下講座室

彫刻家としての水船六洲は東京美術学校彫刻科(現・東京芸術大学)で西洋の塑像術を学び、初期は塑像を制作していましたが、戦後はセメントなど様々な素材・技法・表現を試したのち、日本の伝統に由来する木彫技法により個性的な彩色木彫を制作するようになりました。日本彫刻史を概観しつつ、水船六洲の彫刻作品の魅力を紹介します。
講師の高木茂登先生は、愛知県立芸術大学彫刻科を卒業後、東京芸術大学大学院美術研究科(保存修復技術)を修了され、広島県立美術館学芸員等を経て現在は比治山大学美術科教授を務めておられます。日本古代・中世彫刻技法を中心に近現代にいたる彫刻について研究されると同時に、彫刻家としてもご活躍です。著書に『ひろしま・水と緑と彫刻』などがあります。

館長講座「日本の版画-近代日本版画入門(その1)(その2)」
(比治山大学連携事業)

呉市立美術館 横山勝彦 館長
講師: 呉市立美術館 館長 横山勝彦
日時: 12月19日(土)、1月23日(土) 13:30〜15:00
定員: 30名(当日先着順) 
会場: 地下講座室

近代日本の版画は浮世絵から、新版画(浮世絵の原画・彫り・摺りの高度な分業制作を継承)、創作版画(原画・彫り・摺りを作家一人が手掛け、作家の個性を表現)へと変遷しました。版画家としての水船六洲は、創作版画の流れをくむ主要作家の一人です。これら木版画の系譜のほか銅版・石版・孔版など交え、当館館長が日本近代版画の諸相と鑑賞の楽しみ方を紐解きます。

学芸員によるギャラリートーク

展示室で展示作品の見所を担当学芸員が解説します。

日時: 1月16日(土)、1月30日(土)、2月13日(土) 
各11:00〜(約40分)
会場: 1階展示室

水船六洲という人

水船六洲
水船六洲は1912(明治45)年3月26日呉市草里町(現・東中央2丁目)に生まれました。父は小学校の書道教師でした。岩方小学校から呉第二中学校(現・県立宮原高等学校)へ進学し、1931(昭和6)年東京美術学校彫刻科に入学しました。
彫刻を選んだのは、中学生時代に高村光太郎訳『ロダンの言葉』に感動したことと、同校西洋画科を卒業した兄・水船三洋(1903-1945)と同じ道を行くことを避けたからでした。
また、中学校の教師からムンクの画集を譲り受け、ムンクの木版画に惹かれ、傘の骨を尖らせて自ら版画を試したりしていました。東京美術学校では彫刻科に在籍する傍ら、版画部「椎の木社」、臨時版画教室(1935年開設)に所属して木版画を学びました。
1936(昭和11)年に卒業後は、彫刻家・版画家として活躍するとともに、関東学院(横浜市)中等部の美術教師となり、1960(昭和35)年から1977年に退職するまで、同学院小学部校長を務めました。
「六洲」は本名では「むつくに」、作家としては「ろくしゅう」と読みます。

展示構成

彫刻家としての水船六洲

2.水船六洲《椅子の唄》木彫・彩色1963年
1.水船六洲《斧》ブロンズ1949年
東京美術学校彫刻科では、西洋由来のアカデミックな塑像(そぞう、粘土で造形し完成形をブロンズなどに置き換える)を学び、1950年代初頭まで写実的な人体像を制作していました。卒業の年(1936年)に官展(国が主催する展覧会)に初入選して以来ほぼ例年入選し、1941年に特選を受賞、戦後は日展(官展の後身)に毎年出品を続け、1946年・1947年・1950年に特選を受賞し、彫刻家としての地位を確立しました。
1950年代から自分だけの新たな表現を追究し、孤高の作品世界を築き上げていきます。造形の抽象化、主題の多様化(人体以外に動物や椅子)、素材の模索(コンクリート、木や鉄)など様々な表現領域を探求したのち、最終的に木彫に専念。着衣の人物像に白と黒の彩色を施した、詩情と象徴性を湛える水船独自の木彫作品を創出し、1967年に内閣総理大臣賞を1970年に日本芸術院賞を受賞しました。

作風の変遷

4.水船六洲《指人形》木彫・彩色1968年
3.水船六洲《僧衣》木彫・彩色・鉄1966年
若き日、塑像を制作していたころは、アトリエがなく、屋外で雨除けの防水布を屋根にして制作したことから、太陽光線にも負けない強い表現を目指しました。美術館通りに立つ《斧》(1の写真、1949年)は塑像による作品で、彫りの深い顔立ち、ウェーブする長い髪、着衣の襞(ひだ)に太陽光線による強い陰影が生じ、この像の独特な存在感はもちろん、謎めいた内面性をもドラマティックに訴えかけてきます。

1950年代から水船は独自の表現を求めて、様々な試みを推し進めました。モチーフは多様化し、《椅子の唄》(2の写真、1963年)では、椅子と人体のフォルムが重ねられ、幻想的で不可思議な雰囲気が醸し出されています。栗(くり)の木を彫刻し、ラッカーで着色し、バーナーで焼いて色を落ちつかせたとのことです。

《僧衣》(3の写真、1966年)は抽象傾向を強めた時期の作品で、楠(くすのき)を彫刻して白と黒で彩色され、部分的に鉄板が貼られています。図形的な要素で構成され、そのリズミカルな形と色の組み合わせは、まるで、立体で表された抽象画の風情です。

これらの探求を経て、「抽象だけが新しい仕事ではない。具象の中にも果たさなければならない仕事がある。」と人物像に立ち帰り、《指人形》(4の写真、1968年)のように、正面性の強い生硬で静謐なフォルムに根源的な人間の心性が造形化された水船彫刻の完成形に到達しました。塑像における陰影対比のように黒白の彩色が施され(肉身は黒、着衣や頭髪などは白)、神秘性や詩情が投影されています。


版画家としての水船六洲

明治末期から大正初期にかけて、個性や主観を源泉に「自画(じが)・自刻(じこく)・自摺(じずり)」(自ら原画を描き、版を彫刻し、紙に摺る)により制作する創作版画運動が誕生しました。水船もこの運動に共鳴していたのでしょうか、東京美術学校では彫刻を専攻するほかに版画部や臨時版画教室に所属し、彫刻家と版画家、二つの道を歩み始めることになりました。
第二次世界大戦後、創作版画が浮世絵の伝統を引く現代芸術として国際的に高く評価されるようになると、水船六洲もその潮流にのり、渡米して版画指導を行うなど(1961‐62年)、国内外で版画家としての評価を高めて行きました。

東京美術学校在学時代

水船六洲《婦人像》1935年木版
水船六洲《聖母病院》1932年木版
版画部では幹事として活発に活動。1935(昭和10)年に臨時版画教室が開設されてからは木版画を兼修し、平塚運一(木版画家、1895-1997)に師事しました。東京美術学校の臨時版画教室からは、第一期生の水船に続き、香月康男、北岡文雄、浜田知明、駒井哲郎らそうそうたる芸術家が巣立っていきました。
一方、学外では小野忠重(木版画家・版画史研究家、1909-1990)らが1932年に設立した新版画集団(後に造型版画協会へ改組、1955年頃解散)に加わり、主力会員として精力的に活動しました。本展の展示作品の中には新版画集団の機関誌『新版画』への掲載が確認されるものもあります。

エッチング作品

水船六洲《コーヒーミル》1954年エッチング
水船六洲《少女A》1950年
東京美術学校の臨時版画教室には、木版画とエッチング(腐蝕銅版画)の2部が開設されました。水船は木版画部に在籍しましたが、エッチングを学ぶ機会もあったのでしょうか。これらの作品の中には造型版画協会の展覧会に出品したと思われる作品が含まれています。
また、水船は小野忠重が出版した『版画読本』(1942年、双林社)に「エッチングの理解」と題する技法解説を執筆しており、「(エッチングは)所謂(いわゆる)凹版(おうはん)である所に意味があり、絵画的には、他の版にない繊細巧緻な表現が出来るのが特徴です。」と記しています。
木版画家として自らの作品世界を切り開いた水船ですが、幅広い版画の素養のもとに創作したことを知ることができます。

水船版画の画面構成

水船六洲《花瓶の花》木版・1955年
水船六洲《西洋人形》木版・制作年不詳
水船は多色刷り版画において独自の作風を打ち立てます。
初期においては、これらの作品のように静物をキュビスム的(立体を平面的に分析して描写)に色面分割して表現した作品を制作していたようです。
多色刷りの場合、各色は別々の版から刷られる必要があります。水船の初期多色刷り版画に対して「各色の版がそれぞれ緊密に結びついてゆるみのない画面となっています。この版相互の連絡ということが、多色刷りでは最も重要なことで、絵が生きるも死ぬのもこれ一つだと言ってよいのです。版の組立てに寸分のスキもないこの作品を充分に研究して下さい。」とその真価が評価されており、この秀逸な構成力は以後、水船版画に通底する魅力となります。
多色刷りには、学生時代から取り組んでいたようで、戦前の作例が当時の印刷物の図版で確認できます。

水船版画の色

水船六洲《畑祭》木版・1966年
水船六洲《朱い実》木版・1972年
水船の作品を特徴づける一見油彩画かと見紛う濃密でドラマティックな色彩は次のような工程で生み出されます。
始めに、彫刻刀を入れていない四角い版木に、書道で用いる墨(すみ)をつけて斑(むら)のない真っ黒な画面を刷ります。この黒の上に色版を刷っていくのですが、用いる絵具は水彩絵具に胡粉(ごふん、貝殻から作る白色顔料)を混ぜて不透明化し、色ごとに数回刷り重ねて、濃厚な発色を得たと伝えられます。絵具が乾くまで次の版は刷れないし、日本の木版はバレンで手摺りして版から紙に転写するので(西洋ではプレス機)、相当の手間と労力、時間を要したことでしょう。
水船版画を特徴づける黒を基礎とした賦彩をするようになったのは1960年頃からと思われます。紙と版画の際(きわ)を見ると、最初の墨版(すみはん)が見え隠れしているのに気づくことができます。また、多色刷りの画面は、版を刃物で荒らして擦(かす)れさせたり、ドリッピングのような効果を生じさせるなど、味わいを深めていきました。

水船版画のモチーフ(主題)

水船六洲《朱門》1966年・木版
水船六洲《王さま凧》1963年・木版
水船は自らの版画について「背後には一種の諦観(ていかん)」があり、主題を自然界に取材する中で、「古く、さびれたことども」「こわれて見棄てられたものたち、不完全でよるべのないものたち」から霊感を受けると語ります。作品には、存在や生命の儚(はかな)さに触れて醸し出される「ものの哀れ」とでも言える慈しみや優しさが詩情豊かに表出されています。そして少年時代に親しんだ呉の海辺の生物(海鳥や魚)、海の漂流物などが深く心に刻み込まれ、しばしば作品の中に登場します。それらのモチーフは、抽象化と表出性を次第に深め、観る者に、より一層様々な情趣や解釈を生じさせます。
また、書道教師を父に持つ水船自身、文字に対する造詣が深く、もともと対象を表わす絵であった象形文字が次第に様式化されて抽象的になっていく様を、木版画と並んで対象を抽象化・二次元化する東洋人の才能と捉え、「鳥」や「凧」などの文字を自らの作品の骨格として用いています。文字は、様式化され、時に鏡像のように反転され、作品の中に溶け込んでいますが、探してみてはいかがでしょう。

おわりに

水船六洲《夜の客》制作年不詳・木版
水船は「私はよく−版画が本職ですか、彫刻が本職ですか−という質問をうける。その度にぎくりとして−二本立ての映画館です。あとの一本はサービスです。−と逃げるが、これは私自身にも答えられない難しい問題だ。第一あとのサービスが彫刻なのか版画なのかはにわかには判じがたい。」と冗談めかして語っています。
彫刻は強い存在感を主調する永続的・記念碑的・社会的な、峻厳な芸術形態であり、版画は移ろいゆく存在や生命の一瞬を表現することのできる身近で親しみやすい私的な媒体です。彫刻と版画は水船の中で一つのものとして繋がっていると同時に、その芸術衝動を適度に分散させ、二つの領域によって相互に充足されるものであったようです。
東京を拠点に活動し、第二次世界大戦をはさんで相次いで両親や兄たちと死別したことなどから、呉とは疎遠になった水船ですが、少年時代の呉の記憶を宝物のように胸の中にとどめ、生涯夢の中で鮮明に蘇らせ続け、作品の中に視覚的な詩として描き続けました。そして、その郷愁を帯びた静寂と平和のメッセージは遠く海外まで伝えられました。

水船六洲の同時代作家

棟方志功《天妃乾坤韻の柵》1952年木版
平櫛田中《良寛上人》1970年木彫・彩色
あわせて、水船と同時代を生きた、平櫛田中、圓鍔勝三、最上壽之による木彫作品4点、及び永瀬義郎、平川清蔵、朝井清、棟方志功、芹沢げ陝∈愼清、森田曠平、馬渕聖による、木版を中心とする版画作品25点を展示することにより、近現代の木彫・木版画の多彩な表現を紹介しています。